「TeX」の読み方について、一般的な解説では「TeXは『テフ』または『テック』と読む」などサラッと紹介されますが、なぜ「TeX」というつづりから「テフ」という読み方が導き出されるのか不思議に感じませんか?
まず、「TeX」をどのように発音するかについて、TeXを開発したクヌース博士は「TeXブック」の中で次のように語っています。
technology(科学技術)」という英単語はτεχ……という文字で始まるギリシャ語を語源としており、このギリシャ語は技術と同時に芸術をも意味する言葉である。TeXという名称はここからきていて、τεχの大文字で綴る。
TeXを知っている人は、TeXのχをxとは発音せず、ギリシャ語のchiのように発音する。そのため、TeXのχは、blecchhhという言葉の語尾と同じ響きになる。スコットランド語のlochとかドイツ語のachのようにchと発音したり、またはスペイン語のjやロシア語のkhというような発音をする。コンピュータに向かって、息を吐きかけるように正しく発音すれば、端末は少しばかり曇るかもしれない。 [1]
ここでクヌース博士がいろいろな言語を例に挙げながら指し示している発音は、国際音声記号で表わすと[x]という音になります。これは「無声軟口蓋摩擦音」と呼ばれる、日本語には存在しない音です [2] 。
この[x]がどのような音なのか、聞いてみましょう [3] 。
いかがでしょうか。このサウンドファイルでは曖昧母音が前後に付いていますが、子音[x]の響きはつかめると思います。日本語の「ハ行」よりも激しい摩擦音が印象的で、ちょっと間違えると「カ行」に聞こえるかも知れません。息を大きく吐き出すため、クヌース博士のいうように「端末が少しばかり曇」ってもおかしくありません。
ちなみに比較のために日本語の「ハ行」にあたる国際音声記号[h]を聞いてみると、やはり大分穏やかな感じに聞こえます [4] 。
お聞きになって感じられたかと思いますが[x]の音は「カ行」と「ハ行」の中間的な響きのある音です。国際音声記号表を見てみると音同士の関係がはっきり見えてきます。
[x]の音を常日頃耳にしない日本人が[x]を聞いた場合、縦軸の近傍にある耳なじみのある音[k]、もしくは横軸上の幅広な音[ɸ]や[h]に振り分けて認識してしまう、ということではないでしょうか。
TeX[tex]の[x]を[k]に振り分ければ「テック」、[ɸ]に振り分ければ「テフ」という読み方が導き出されます。
日本人の耳には「カ行」にも「ハ行」にも聞こえてしまう中間的な響きの音[x]。日本語の五十音にどのように当てはめればよいのでしょうか。Wikipediaではについて次のように記されています [5] 。
この音を持たない言語に借用された場合、無声声門摩擦音[h]、無声軟口蓋破裂音[k]などで代用することが多い。日本語に借用された外来語ではハ行で表記する。まれにファ行で表記されることもあるが、誤りからきていると思われ適切ではない。英語に借用された場合、[h](主にスペイン語からの場合)や[k](ドイツ語、ロシア語などからの場合)で代用するか、原音に近づけて[x]で発音することもある。
「Bach → バッハ」「Don Quijote → ドン・キホーテ」などは、まさにこの原理にあてはまります。
以上すこし細かく見てきましたが、「テフ」と「テック」のどちらがより正しい発音なのか、キッパリと審判を下すのは難しいようです [6] 。ただ、出版関係では「テフ」と読む人が多いように感じます。筆者ももっぱら「テフ」を愛用しています。
最後にクヌース博士がTeXの発音にかけたおもいを「TeXブック」から引用します。この言葉に照らすと、「芸術」という意味を感じさせにくい「テック」よりは、得体の知れない響きである「テフ」の方が、似つかわしいのではないかという気にもさせられます。
どうしてこんな発音練習をしたかというと、それは、TeXが主として科学技術系の原稿を処理し、非常に美しい出力を得るためのシステムであるということ、すなわちギリシャ語本来の意味である、芸術や技術の分野の文書を処理することに重きを置いて開発されたシステムであるという点を印象づけたかったからである。
- D.E.Knuth「改訂新版TeXブック―コンピュータによる組版システム」, p.3, アスキー出版局, 1989 [↩]
- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%A3%B0%E8%BB%9F%E5%8F%A3%E8%93%8B%E6%91%A9%E6%93%A6%E9%9F%B3 [↩]
- カナダ・ビクトリア大学のサイトにある国際音声記号表(http://web.uvic.ca/ling/resources/ipa/charts/IPAlab/IPAlab.htm)より [↩]
- http://daijirin.dual-d.net/extra/nihongoon.html。正確には「ハヘホ」が[h]、「ヒ」が[ç]、フが[ɸ]という音となっていますが、いずれも[x]よりもずっと穏やかな音です。 [↩]
- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%A3%B0%E8%BB%9F%E5%8F%A3%E8%93%8B%E6%91%A9%E6%93%A6%E9%9F%B3 [↩]
- 「テフ」「テック」どちらにしても日本語の音感にぴったり当てはまらない音をむりやりカナに落とし込んでいるのですからどちらも端から「正確」なわけがないのです……。 [↩]